ドーピングについて考えること

昨日Jスポ解説陣はなぜドーピングについてもっと議論しないのか、と書きましたがいろいろと考えを述べて下さいました.違和感を感じる部分もあったにせよ、私の考えと共通する部分も多くありました.


やっと書きました.なんとか今日のステージのフィニッシュ前には終わった.
あー、長!もっとうまくまとめられないものだろうか、、、、、


昨夜の解説の方々(栗村さん&今中さん)がおっしゃったことについて簡単にまとめてみました.眠かったので勘違い等あるかもしれませんが.
・ドーピングというものに対する一般に考えられているイメージと現実の禁止薬物の実体との間には乖離がある.禁止薬物=絶対悪の薬物ではない*1.飲めば廃人になるような危険なものや、馬に飲ませるような興奮剤、麻薬のようなもの等は現在では使われていなく、カフェインのように一般生活で飲食するもの、一般処方薬に入っているものもあり、イメージほど危険なものを使っているわけではない.ドーピングの実体が何かということをよく考慮し、今後この名称も変えていくべきと考えている(栗村さんはルール違反と言ってましたね).
・現在の体制ではドーピングはなくならない.体制を変えて行く必要がある.
・現在の自転車競技界のドーピング取り締まりは他のどのスポーツよりも厳しい.他のスポーツの規制はもっと緩く、自転車でこれだけ陽性者が捕まっているけれども、それでも最もクリーンな競技と言えると思う.ただしそのために選手は犯罪者の如く監視下におかれており、人権を侵害されている状態である.その上選手、ファンともこの人権侵害の状況に慣れ、反発の声を上げていないのも問題である.
自転車競技が最もクリーンな状態を保つべく努力をしているのに、これだけ槍玉に挙げられているのは、全スポーツ界における政治力のなさが原因である.政治力がないために、自転車競技は最もドーピングに染まった競技というレッテルを貼られ(スケープゴートにされている:魔女狩りをされている)、選手は人権侵害とも言える扱いを受けている.ヴィノクロフラスムッセンと活躍した翌日にレースを去らねばならない状況にさらされているのがいい例である.(ラスムッセンは陽性反応が出たわけではないけれど)ヴィノクロフの陽性は明白としても、もっと前の検査で判明しているべきものであるのに、わざわざ活躍した翌日に追放することでより悪いイメージを強調させようという悪意を感じる.もっと競技者、ファンが声を上げ、世論を動かしこの状況を変えて行かなければならない.
・極論を言うならばドーピングフリーにすることも考慮してもいいと思う.ドーピングと言ってもすべてが所持するだけで犯罪になるようなものを使っているわけではない.ものによっては許可しても良いのではないか.


と、いうことでした.ところどころ???というところはあったものの、それほど違和感のある主張ではなかった.特に "ドーピング=(絶対)悪" ではないという主張には我が意を得たりと頷いてしまいました(もちろん決められた以上はルール違反には違いないのですが).栗村さんや今中さんの意見に同調できない人も多いかもしれないけれども、彼らは実際に現場に関わっている人間なのだから、ひとつの意見として尊重しても良いかと思います.
もうひとつ気になるのが、ドーピングに限らず最近のマスコミの論調がスケープゴートを見つけて徹底的に叩くという傾向にあることです.スケープゴートにされた人、組織が悪いことや違反をしたのは事実ですから、反論はしにくいですよね.それをいいことに事の本質を検証しようとせず、悪と決めつけ、実際の悪の程度とは比べ物にならない批判、力で叩き伏せる.自転車におけるドーピングにもその傾向がみられると思います.栗村さんの咆哮はこういった風潮に対する不満も多く合ったのではないでしょうか.多少感情的になって論理的でない部分もありましたが、全般として批判されるほどのものではないと思いました.


個人的にも言いたいことを(長くなりますが)書き連ねます.
・ドーピングに対する世間の認識と現実のズレについて.
まずなぜドーピングがいけないかということについて.JADA(日本アンチ・ドーピング機構)のHPに行くと、なぜドーピングがいけないのか書いてあります.
1. 選手自身の健康を害する
2. 不誠実(アンフェア)
3. 社会悪
4. スポーツ固有の価値を損ねる
1について、実際の競技の現場で使われていた禁止薬物がどの程度身体に害があるかは薬物の種類によって違うでしょう.詳しくは後述しますが、必ずしも禁止薬物=大変危険な薬物でないのは確かだと思います.一番の理由は2だと思います.禁止薬物摂取によってパフォーマンスが向上すれば、摂取しない選手に対して不公平になる.競争の場ですから公平性が保たれなければ競技が存在し得ませんね.3と4の違いがよくわからないのですが、どちらもドーピングが"悪"である、という認識のもとに成り立っている論理ですね.2の観点からすればその通りですが、1の観点から悪とは言い切れないでしょう.ま、決まった以上ルールは守らなければならず、これを破る事自体悪ですから、成り立つ理論だと思いますが.


さて禁止薬物の摂取(ドーピング)が悪であるのか、選手の健康を害するものであるのはどうなのでしょう.えーと、またいつもの話を繰り返します、、、、、我々の周囲に存在するすべての物質は化学物質です.言葉遊びをしているのではありません.多分一般的に化学物質と言うと合成化合物を想像する人が多いと思いますが、合成化合物だから危険ということはなく、対して天然物(天然化合物)だから安全ということは全くありません.安全性は個々の化学物質次第なのです.そしてもうひとつ大切な要素は量(or 濃度)です.たとえば身体に良い食品とは身体に何らかの作用をするものを意味し、摂取量が多すぎれば危険です.ビタミンCのように過剰摂取分は体外に排出されるとかいわれているものもあるようですが、通常塩だろうと砂糖だろうと取りすぎれば死にます(塩の場合体重1kgあたり3 g、砂糖は同30 g).アルコールも少量では血流を促進するなどある程度よい効果も期待できるらしいですが、飲み過ぎれば急性中毒になりますよね.カフェイン(同0.2 g)やカプサイシン(同0.06 g)だって然り.結局どの化学物質だって毒にも薬にも健康食品にもなりうるのです.毒や薬や健康食品の境はあいまいなのです.
何が言いたいかというと物事は全て連続的であり、境界なぞどこにも存在しないということです.我々人類が便宜上、人為的に境界を引いて分類しているに過ぎません.でもそれでいい、連続的なものを分類するのは人類の長所であり、それによって系統的な思考が可能になっているのだと思うから.ただその分類が人為的であることは心の片隅に留めておく必要があります.そしてその人為的に引かれた分類に貼られたラベルも絶対ではないということです.現実としてそうやって貼られたラベルが一人歩きをして実際とは異なったイメージが抱かれることも多いと思います.食品添加物なんかそうではないでしょうか.
ドーピングにおいて言えば禁止薬物と許可されているものの間には極めて微妙なものも多くあると思います(詳しくは知りませんが).今中さんや栗村さんがおっしゃったドーピングと言う名称(ラベル)はやめようという言葉には、こういったラベルに対する偏見があること、実態はもっと連続的で一概に決めつけられないことを意味していたのだと思います.
ただ私はドーピングという言葉は変えなくてもいいと思います.確かにラベルに対するイメージを変えるにはラベルごと取り替えるのが一番ですが、ラベルの中身を理解してもらえなければ本質的な理解は得られません.さっきも書きましたが、分類は人類の長所だと思います.分類自体を放棄することにも反対です.
さてさて今中さんと栗村さんはカフェインとか風邪薬等あまり大したことのない例を出して、ドーピングに対する悪いイメージを払拭しようとしてましたが、もっと劇的にパフォーマンスが向上する薬物もあるのでしょう.公平性の観点からすればそういう物質の摂取は認められるべきではないし、悪であると思います.ヴィノの血液ドーピングやモレーニのテストステロンはその例なのでしょう(具体的なことは全然知りませんが).そこに触れないのはちょっと???と感じました.


栗村さんのおっしゃっていた「自転車は全スポーツの中で最もドーピング対策が進んでいる」.これは本当だと思います.最もマークされているからこそ最も多く陽性者が出て、それがために最も真摯にドーピング対策に取り組んでいるのは事実だと思う.ただ私はそれでもクリーンになるためにはこれ以上何かできることはあると思っていました.一番必要なのは教育による意識改革なのでしょうね.ただそれ以外でも何かあると思っていた私は甘かったのか、栗村さんに言わせるとプロツール選手は過剰な監視体制による「人権侵害」を受けている状況のようですね(栗村さんに批判された通り私もそれが当たり前のように思ってました.ランスの元奥さんのキルスティンさんが産気づいて急いで病院に運ぼうとした時にも検査員が来てサンプル取っていったんですよねー.病院行ってからでいいじゃん).それが人権侵害にあたるのかどうか(麻痺しているせいか)わかりませんが、そうだとするとこれ以上規制強化によるドーピング対策は無理なのかもしれません.むしろ監視体制下の人権侵害を抑える必要もあるかもしれない.そうしたら対策が緩くなるのでしょう、、、、、でも完璧なアンチ・ドーピングプログラムを組もうとしたら、栗村さんのおっしゃる通りそれこそプライバシーゼロの監視体制におかなければならない.ドーピングに限らずどんなものにも100%の安全なんて存在しませんよね.一般的にも自分が直接安全性に関わらないもの、原発や食料品に対して100%の安全性を求める傾向があるように思いますが、どんなものでもリスクは存在するのであって、(安全性を可能な限り高めた上で)リスクを前提とした対策をとる必要があります.私たちが直接安全性に関われる車の場合、交通事故や大気汚染のリスクがあるんですよね.100%の安全性なんてないのに、それでも乗ってる.ドーピングの場合リスク(ドーピングをする選手が存在する)を前提に対策をとるということがどういうことなのかはわかりませんが、そういうリスクの存在は、、、、、よく考えると自転車ファンってそのリスクをはなから織り込み済みですね(笑)うんまあ、とりあえず人権侵害はよくないと思う.リスクが高まるのは承知の上でそれを取り除いていく必要があるのですね.そしてそのために必要なのが政治力、、、、、がないから世論の力ということなのですね.
あと栗村さんのおっしゃっていた「現行体制を変えないとクリーンにはならない」っていうのがよく分からなかった.ドーピングに対する偏見をなくし、魔女狩りをやめさせ、織り込む体制に変化させるっていうことなのかなぁ.


栗村さんがドーピングフリー(もちろん一部の物質だけを指していると思いますが)にすることを考慮しても良いのではとおっしゃっていました.私もそれもひとつの考え方、手だと思っています.
(もう書くのが面倒なので下↓を参照して下さい.要はグランツール等の消耗するレースでは体力の回復や身体の損傷を治癒するための薬物に限って認めるべきではないかということ)
http://d.hatena.ne.jp/moritaku_bear/20070511
まあものによっては認めてもいいかもしれません.しかし↑上の参照で書いていた、回復のためのドーピングの許可もやっぱりダメかもしれないと思うようになりました.それは回復措置によってより競技が厳しくなり、より薬物に依存した回復をするようになるとかそういうのが理由ではありません.そりゃあ自転車競技は大変過酷だと思いますよ.あれだけの長時間運動を連日続けてたら、身体にかかる負担は並大抵のものではない.多少の薬を用いて回復したっていいじゃんという気持ちは捨て切れません.でも公平性という観点からするとやはりそれはダメだと考えるようになりました.
以前鎌倉さんから「ドーピングでズルすることによって、天才的な選手が持って生まれた力を越えるパフォーマンスを他の選手ができてしまうようになっている」と教えて頂きました.いつぞやの砂田さんの日記にも「フォンドリエストが引退したのはドーピングの力によって平凡な選手が自身を越えるようになったから」とか書いてあったように思います.
この手のドーピングについては私は最初っから認める気はありません.だからフンフンそうだよね、くらいに考えていました.が、よく考えると回復力、耐久力という才能を持って生まれた選手や、努力によってそれを獲得した選手もいるわけですよね.それを薬物によって安易に回復させることはやはり公平性と言う観点から言って好ましくない.いえ、絶対いけないと思います.多分鎌倉さんも砂田さんもそういう意味でおっしゃったのでしょう.
もちろん、その量で何の問題があるの?というケースや風邪引いて処方が必要という場合もあるでしょう.そういうあいまいなモノに関しては規制を外すなり、基準値を上げるなりの再検討は必要だと思います.


ところで栗村さんがおっしゃっていた選手会として団結できない理由は、"禁止薬物として登録される前に摂取したことに対する後ろめたさ" ではなく、"禁止薬物と知りながら摂取し、バレずにうまく済んだことがある" ことに対する後ろめたさではないでしょうか.だって禁止薬物への登録前であれば、罪悪感も後ろめたさも感じる必要はないでしょう.


甘いでしょうか.ドーピングなしで走っている一部の真摯な選手を踏みにじるような姿勢でしょうか.たとえスケープゴートに遭っているのは事実としても、現在の危機的状況でそういった声を上げるのは場違いだろうか.今中さん、栗村さんの意見に素直過ぎるでしょうか.何かあればお願いします.

*1:実際はこういう表現をしたのではありません