大化の改新は単なる権力争いか

NHKスペシャル「大化改新 隠された真相〜飛鳥発掘調査報告〜」
番組HP
大化の改新に関するこれまでの通説に疑問を唱える内容
天皇を凌ぐ権力を持ち、暴虐をきわめ、天皇に成り代わろうとした下蘇我蝦夷、入鹿親子を中大兄皇子中臣鎌足らが討ち、天皇中心の中央集権体制を築き、律令国家の礎をつくったというのが大化の改新の通説.根拠は持統天皇元明天皇時代に編集された日本書紀の記述.


日本書紀蘇我入鹿の豪勢な邸宅があったと記述された飛鳥宮近くの甘樫の丘の発掘をしたところ、日本書紀の記述通り同時代の遺跡が発見された.しかし遺跡からは多くの小さな倉庫と小屋が見つかり、豪勢な邸宅ではなかった.しかもすぐ前に平坦地があるのにも関わらず、起伏の多い丘陵地にわざわざ土地を平坦にする大規模な造成工事を施していた.甘樫は丘陵地に囲まれた飛鳥の丘陵の途切れる北端を見下ろす場所に位置している.以上から甘樫の丘の蘇我邸は飛鳥防衛の役割を担っており、倉庫は武器庫、小屋は兵舎であったと考えられる.
・飛鳥周辺の丘陵地は南北で切れていて、そこが外敵の侵入路となるが、南の入口は蘇我馬子邸、北は蘇我氏菩提寺である飛鳥寺が塞ぐように位置している.これらからも蘇我氏は飛鳥の宮の防衛を担っていた可能性が高い.
・当時の国際情勢としては大陸では唐が興り、周辺国を圧迫していた.渡来人由来で外交に明るい蘇我氏は唐への朝貢を進めていた.つまり蘇我氏は唐との友好外交と飛鳥の要塞化という2政策によって大和朝廷の防衛を進めていた.
天皇に成り代わろうとしていたのではなく、天皇家を守ろうとしていたのではないか?


・一方これまでの大化の改新の通説の根拠となっていた日本書紀をみると、大化の改新前後に書き直されていた箇所が多く見つかった.具体的に言うと、日本書紀の文法から著者は中国人であると推定されたが、大化の改新の編では中国人では犯さないような文法上の誤りが何ヶ所も見られた.
大化の改新によって律令体制が進んだと言われているが、実際に律令体制が始まり出したのは白村江の戦に敗れた18年後以上後のこと.令制となったのを示す木簡の出土がこれ以降に限られている.蘇我蝦夷、入鹿親子討伐後の中大兄皇子は唐に対し敵対的な姿勢を示していたが、白村江で敗れ国家存亡の危機にさらされたため国土防衛と中央集権化を進めたと考えられる(→少なくとも蘇我氏討伐によって律令化が進んだわけではないことを示す).


と、いうわけで蘇我蝦夷、入鹿親子の討伐は横暴を極めた彼らを討ったのではなく、単なる権力争いではないかと考えた.番組では触れてませんでしたが、確かに中大兄と鎌足蘇我石川麻呂や有馬皇子等の政敵を追い落としたりと個人的にも権力争いに長けている印象がある.


・ちなみに日本書紀の編集時期は大化の改新当事者の中大兄皇子中臣鎌足の子である持統、元明天皇不比等の時代にあたり、親のしたことに配慮して書き直した可能性が考えられるそうです.


いろいろなサイトを見ると、以前から両説唱えられていたそうですが、全然知りませんでしたねー.歴史の真実をひも解いていくとはこういうことでしょうか.とてもおもしろかったです.NHKがこういう番組を作る限り、受信料払いますよー.